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田中 弘太郎(たなか こうたろう、1864年10月29日(元治元年9月29日) - 1938年6月5日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。族籍は京都府士族〔『人事興信録 9版』 人事興信所 編、1931年、た43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月7日閲覧。〕。 ==経歴== 園部藩士、田中弘作の長男として生れる。7歳の時浄教寺の寺子屋に学んだ〔『陸軍大将田中弘太郎伝』 陸軍技術本部高等官集会所 編、陸軍技術本部高等官集会所、1940年、3 - 5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月7日閲覧。〕。後上野盤山という学者の塾に学び更に1872年に至り園部町に新設された明親校に入って学を修めた〔。 1883年、家督を相続する〔。1887年7月、陸軍士官学校(旧9期)を卒業し、砲兵少尉任官。1888年7月、陸士砲兵科を終えて野砲兵第4連隊小隊長、陸軍砲兵射的学校教官を歴任。日清戦争では第5師団司令部付として出征した。その後、陸軍砲工学校教官、東京砲兵工廠製造所長、欧州差遣(駐独審査官)、大阪砲兵工廠技術課長などを歴任し、1913年8月、陸軍少将に進級した。 技術審査部審査官を経て、1918年7月、陸軍中将となり、陸軍科学研究所長、技術本部長、軍事参議官を勤める。1924年8月、陸軍大将となり、翌月予備役に編入され、1934年4月に退役した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中弘太郎 (陸軍軍人)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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